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流れる雲のように旅して行き着いた先、NYから思い付くままに!


by ヒマワリ
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音のない世界への憧れ

縁あって、4〜5年前から知るある高野山のお寺のお坊さんと語りました。

お父上は、空海の道を辿って30年くらいのお方。そのお方は言う。
「空海は中国の漢字や古典全般に深い素養があり、漢字文化圏である日本と中国の架け橋になった巨人。巡拝の道をたどり、空海の足跡を多くの人に知ってもらいたい」という気持ちで、今でも日中を行き来しています。

その後継さんとは、築地の魚を直接下ろして捌くのが趣味という知人を通じて知りました。最初の印象は、本当にお坊さん?というほど、チャラい感じで(失礼、笑)、剃髪しているという点以外はどうしてもお坊さんには見えませんでした。実は髪を剃っただけで、本当は偽っているのかな、、とまで、笑。

でもつい最近、じっくりと久しぶりに語る機会があり、世のなかのことや、大学で博士号までとった話、ロサンゼルスのお寺やインドで修行した話、普段の法事に繰り出している話、四国遍路の話しを聞くうちに東京で実は偽っていたんだなという姿を垣間見れました。

お互いにプライベートでも多々辛かったこともあって、政治話以外にも、人として生きる術や悩みをじっくりと話すことができました。

本来なら開祖1200年の2014年に行きたかったのですが、当時の上司に海外取材を命じられ、流れてしまった高野山行き。その方のご招待もあり、たくさんの場所を案内してくださるというので近く訪れることにした高野山。
音のない世界に行きたいと切実に思う今日この頃、どんな世界が見れるのか、どんな自分と出会えるのか、、、今から楽しみにしている。
# by hjihae | 2016-11-12 00:00 |
つい先月から学校に通うことになった私。
話言葉で表現するよりも、書き言葉の方が得意で、そしてそれをより磨くための修行と、ある人の励ましもあり、ふと思い立って通い始めた学校。。
その場所が、偶然にも、20歳頃に住んでいた場所のすぐそば。。


人生で引っ越しを何度繰り返したかわからないけれど、日本ではこの場所以上に思い出深い場所はないかも。当時、私は家族が米国にすでに越していたので、祖母が所有するマンションに住んでいた。


課題があると、外観は洞窟のように見える近くの喫茶店に立ち寄り、お気に入りの窓際の席に着く。
周りの店は移り変わり激しいのにまだ残っていることになんだか、航海中に灯台の光を見つけた気分になる。


当時もその喫茶店で、課題レポートよりも懸命に励んでいたDJの原稿や文章を書いて待ち人来るまで時間をつぶしたっけ。月2〜3くらいで通ったマンションの目の前にある中華レストランもまだそのままで、そして表の国道から一歩入った場所にあるため驚くほど静かな神社ではよく散策していたっけ、、。


普段は一人で入るその喫茶店で、たまたま先日、友人の相談に乗りながら、あることを思い出していた。
その相談の内容は、人との付き合いの難しさ。相手の気持ちがよくわからない、伝わらない、そしてそれは相手の言動の不理解なところによっているようで、、。でもそれは、よくよく聞いてみると、それは素直に表現できていない、裏腹な言動から来ているのでは、、と。。

素直になるということの難しさ。。それはこの喫茶店によく通っていたあのころの私だな、、と、笑。

あのころはよくわからなかったこと、もちろん今でもまだ未熟だけれど、ひとつだけわかったことがある。自分が素直になりたいと思いながら、素直になれないのは、心の扉を閉ざしてしまっていたからかもしれないな、、と。自分ではそうではないと思いながら、どこか頑なに閉ざしていたのかも、、と。

人はどうしても知らずと自分を守るためなのか、言動と気持ちが裏腹になってしまうことがある。
それは相手を信頼していない、ということと表裏一体のことかもしれない。
(当時はそんなことはない、と否定しそうだけれど、、。)

素直になる、自分の気持ちを出す、というのは、実は相手がどう思うかわからないから、怯えて嫌われたくないという気持ちが先にたつと、どうしても本音を言えなかったりする。そして後悔をしたり、、。

でもそれは、相手に対して心を開いているか、閉じているかという2つの違いだけ、なんだろうな、、と。
そして同時に、自分を見せることができるか、なんだろうな、、と。


”他人は自分の心の投影ともいわれている 
自分が無意識に「信頼できない行動」をとってしまうことがある
相手を信頼できる、できないの違いは、
自分を信頼できる、できないの違いでもある”


まあ、素直になるということは、子供のころの純粋さを思い出すということは、
正直で、バカにもなれることだから、、。
ジョブズのSTAY FOOLISH, STAY HUNGRYにも通じるのかな。

過去は取り戻せないものだけれど、言えばよかった、伝えればよかった、にならないよう、今この瞬間(とき)を大切に、素直に、バカになれる勇気を持って。

外は秋冷えだけれど、室内は程好い暖かい照明と淹れたての珈琲の匂いに囲まれながら、徒然にそんなことを思って過ごした一夜、、。
# by hjihae | 2016-11-06 18:38 | 気になった事

言葉についての考察3

なんだか色々と言葉の堂々めぐりになっていたことがいくつかあったりして、偶々、
以前の「言葉についての考察」を読み返していて、あまり成長がないな、、と、笑。


神が人間に与えた最大の賜物は、知性であり、理解力である、、らしい。


そして、芥川龍之介は次のような言葉を残した。

”完全に自己を告白することは何びとにも出来ることではない。
同時にまた自己を告白せずには如何なる表現も出来るものではない。”




そしてある哲学者は次のようにいう。

"La parole nous a été donnée pour déguiser notre pensée."
(私たちに言葉が与えられているのは、私たちの思っていることを偽るためなのです。
=言葉は思うところを偽るために私たちに与えられた。)



そしてある人が残した言葉、、。


我々人間は、伝えたい意志や気持ちがある。
そしてそれを伝えるための言葉があり、人間には言葉を表現できる手段がある。




そして以前のブログで書いた内容
http://sunflowerd.exblog.jp/3442890


我々は言葉を使って、想いや考えを「伝えて」いる。
”以心伝心”などと言う言葉もあるが、大抵は、
きちんと言葉にして伝えなければ、相手に通じない。

しかし反対に言葉にして伝えた所で、伝わりきれていない事も多い。
それにうっかりすると、よかれと発した言葉が、間違って捉えられ、
思わぬ誤解をされ、思ってもいない様な方に進んでしまう展開にもなりうる。

言葉は、思いついた事をただ発するのは簡単。
でも、相手の思いや状況など、全てを汲み取ってその上で
一番、適切な言葉を選び取らなければならないから、大変。

ふと気を抜くと、言葉がただ単に流れだしていたり、、。
でも逆にあまりに考えすぎると、余計な先回りをして、
傷つけるのが怖くて、伝えたい事の半分も言えなかったり。
そして言えない事で誤解を生み、もっと傷ついたり___。

我々は、普段、思った事をどれくらい口に出しているのだろう。
自分の想いや考えを、どれくらい上手に伝えられているのだろう。


最近、誘われたお寺めぐり旅中に言われた言葉、「あなたはとても
明るくてアクティブな印象なんだけど、知るほどに意外にも繊細なんだね」と。
普段、好奇心旺盛で、活動的に見える私だけど、実は臆病で小心な私は、
上手く想いを言葉に出来ないことの方が多々。
(だからこそ、31文字の短い短歌を詠む方が楽だったりもする、、、。)

心の中では、伝えたい想いに溢れていても、言葉が見つからず、
素直に表現出来なかったり、遠回しにしか言えなかったり、、、。

ときとして相手の状況を考えるあまり、つい、本音とは違う事を言ったり、
それが逆効果で誤解を生んだりする事がある。きっと考えたつもり、、
あるいは、考えすぎ、な結果=一人の想像の世界だったのかもしれない。。


特に最近は、メールやSNSが発展して、直接言葉をやりとりする以上に、
便利さで、それだけに止まっていたり(若かりし頃は、ちょっと甘酸っぱくも
交換日記や海外と文通とかしていたけれど、それとはまた違うんだよね。)
気軽だからこそ、もっと誤解を生んだり、意図しない方向に言葉だけが一人歩きしたり。
もちろん逆に、言葉によって励まされたり、勇気づけられたりな面もたくさんあるけれど、、。

愛情を目一杯、体で表現する動物、、。その彼らにはない人間だけが授かった能力。
でもやはり感情がある”動物”であるから、余計に言葉の意味がその通りでなく、ややこしくもなりえる。

言葉との付き合い方、、何をではなく、いかに、どう伝えるか、、。
本当、一生かけて向き合う問題なんだろうな、、と深く、深く感じた夜でした。



追記:昔はコメント可にしていたので、やりとりもありましたが、ある時を境にやめたのですが、、先日、この徒然なつぶやきを読んで頂いた方から感想を頂き、なるほど、、と納得したことが。

「自分以外の誰かと同じ気持ちになったような気になったり、お互いそうあろうとすることに幸せを感じるのかも。ただどうであろうとそれも全て含めて認めあえたら安心だし、素敵だよね。どう思うかは相手の自由、相手にこうあってほしいと思う気持ちは当然あるけれど、、相手に委ねる=相手を信じる、そうありたいと思いながら年を重ねている、、」

芸術家が作品を発表するときも同じような感じかと思うと、昔芸術家の付き人をしていたその方は話す。。。その言葉にはハッとしました、、。
曲がりなりにも、ピアノをずっと弾いていたり、アートの世界にいた私。言っているその意味が非常によくわかり、なぜかすっきりしました。。人は時として傲慢になったり、期待しすぎたり、、。多分、信頼していないからではなく、心の中で好かれたい、理解してほしいという気持ちが生まれてしまうからだろうな、、。


ときに転んでも、ときに頭を抱えても、ときに投げ出したくなっても、
きっと人間だけに与えられた”言葉”を通じて、大切な人たちとつながりたいと願い、
これからもずっと、ずっと、だれかに想いを伝えつづけていくんだろうな、、と。

パーフェクトな人間よりも、不完全な”人”の方に魅力を感じるものなのだから。
不完全な人が選ぶ言葉だからこそ、ときに重みがあったり、深い味わいがあったり、
ときに溢れる愛を感じれるものだから、、。


でもだからこそ、発する言葉の大事さ、深さをもっと大切にしていかなければ、と。
本当、日々成長なり、、です。。。気付かせてくれてありがとう、、。
# by hjihae | 2016-10-21 22:30 | 気になった事

SEYMOUR:AN INTRODUCTION

SEYMOUR:AN INTRODUCTION_e0025571_18201665.jpg


米国時代は週に1〜2本は見ていた映画。でも日本では映画館料金が高く、ほぼネットでDVDで借りたり、

米国(HomelandかHouse of Cardが24以来のヒット)か韓国ドラマばかりだった。

けれど、夏に見たフランスの落ちこぼれ学生たちが、ある教師と出会うことで、アウシュビッツの生存者の記憶を辿ることで、生き方を見つめる「奇跡の教室」を映画館で見て以来、やはり大スクリーンの映画館で見ることにはまっている。





そして仕事帰りに眠い目をこすって朝一番で見てきた映画
『Seymour Bernstein : an introduction』

俳優のイーサン・ホークが、今年89歳のピアノ教師、シーモア・バーンスタインさんのレッスンの様子や本人のインタビューなどを通じて、その音楽性と人間性に迫ったドキュメンタリー。


映画化の発端は、イーサン氏が人生の折り返し地点で、演技や一人の人間として葛藤を抱えていた頃の、シーモアさんとの出会いがきっかけだったと言う。

「多くの俳優は演技を磨くより金を稼ぐために人生を費やす。でも、金や物で幸せになっている人はいない。僕は人生の折り返し地点に来ている。金のためでもなく、宗教上の使命もないなら、何のために生きるべきか?」


シーモアさんは、そんな彼の問いかけに応えるような、自身の想いを語る。。


「音楽でメジャーになった仲間たちはひどく苦しんでいる。芸術家が目指す崇高さと、大衆が喜ぶものとはあまりにもかけ離れている。その落差が激しすぎて芸術家はバランスがとれずにノイローゼになる」


“芸術の崇高さと人々に広く受け入れられるものとのギャップ”。
多分、アーティストとして成功した者が常に抱く気持ちなのであろう。パフォーマンスが評価されるだけでは第一線で生き残れず、ある種のわかりやすさも必要となってくる。


そして自身も葛藤し、50歳でコンサートピアニストを引退したシーモアさんは、
一番自分が素直になれるという教えることに情熱を注ぐことに情熱を燃やしてきたと語る。。。

なんだか全てを超越したかのような穏やかな表情で、そして、少年のように、キラキラとした瞳で音楽への想いと、人生を振り返って、溢れてくる言葉たち、、。



「音楽の教師が生徒にできる最善のことは、生徒を鼓舞し 感情的な反応を引き出させること。音楽のためばかりではない。人生のあらゆる場面で、重要なことだから。」


「音楽は我々に気づかせてくれる。金や成功ではなく、心の奥の愛情や思いやり、そして本当の自分の姿を。音楽をすべての基準にすれば、何が本物かがわかる」


「私の年齢になると、ごまかしを一切やめる。人にウソを言わなくなり、自分の心のままを語るようになる。そして真実をいうことこそが、相手にとって最高の褒め言葉だとわかる、相手が喜ぶことを言うのではなく。」


「人生には衝突も喜びも調和(ハーモニー)も不協和音もある。それが人生だ。避けて通れない。音楽も同じで、不協和音もハーモニーも解決(レゾリューション)もある。
解決の素晴らしさを知るには、不協和音がなくては。不協和音がなかったらどうか?
和解の意味を知ることもない。」



「夜空の星が普遍的秩序を目で確認できる証拠ならば、音楽は普遍的秩序を耳で確認できる証拠と言える。音楽を通じて、我々も星のように永遠の存在になれる。音楽は悩み大き世に調和しつつ、語りかける〜孤独や不満をかき消しながら。音楽は心の奥にある普遍的真理、つまり感情や思考の底にある真理に気づかせてくれる手段だ。音楽は一切の妥協を許さず、言い訳やごまかしも受け付けない。そして中途半端な努力も。音楽は我々を写す鏡と言える。音楽は我々に完璧を目指す力が備わっていると教えてくれる。」



イーサン氏に依頼され、30年ぶりにスタインウェイのピアノで、ミニコンサートを開くシーモアさん。

彼が演奏する〜シューマン《幻想曲》第3楽章
その音色は、まるで自身が生きてきた人生を愛でるかのようで、満ちては引く潮の流れのよう。。。

(そういえば、この会場はNYの57丁目のスタインウェイホール。この裏側のアパートに私はイタリア人と住んでいて、よく通りがかってはスタインウェイのピアノが羨ましくて、眺めていたな、、と別の意味でも感慨にふけってしまった、、。)


日本語でのタイトルは、「大人のための人生入門」。音楽に携わるものでなくても、きっと我々になんらかの哲学を教えてくれた気がした。。目先のことに追われたとしても、疑問を抱いたり、疲れたり、ため息をついたり、そんな私たち、「大人」にこそ必要な何かを、、。


「じぶんの心と向き合うこと、シンプルに生きること、成功したい気持ちを手放すこと。積み重ねることで、人生は充実する。」


人生で出会いは数あれど、何も話さなくても気持ちの伝わるような大事な人、
同じ方向を共に目指せる仲間、一緒にいればそれだけで笑顔になれるような友達、
そして、人生に迷った時、道を照らしてくれる恩師。


正直、まだまだそこまで、シーモアさんのようにシンプルに生きれる自信はないけれど、でも、そんな出会いを重ねていけたなら、人生はなんて素晴らしいのだろう、、と思わせてくれる。


ラストのシーモアさんの言葉があまりにも素敵でした。

「驚くべき事は、このふたつの手で空をも掴めることだ」


ちょっと今にも降り出しそうだった曇り空の帰り道、ふと秋雨の夜にこのブログに書いた一節を思い出した。それはもう20年近くも前にある方から頂いた言葉、、。今思えばあの出会いも私の人生を素晴らしく
照らしてくれたものだったな、、。

「痛いのは生きているから、転んだのは歩いたから。
迷っているのは前に進みたいから、逃げ出したいのは戦っているから。」




〜あまりにも素敵な調べで、ついサントラを購入してしまいました、、笑〜
また、白黒の鍵盤に向かいたくなってくる。。。

http://www.imdb.com/title/tt2219650/
# by hjihae | 2016-10-15 00:00 | 映画
異国(特に大変そうな場合、笑)で移動する際に必ず持っていく本、
それは沢木耕太郎さんの本。今回、ずっと積み残してあった「流星ひとつ」を持って行き、無事に読み終えました。。
内容は、かの歌姫と言われ、晩年は波乱万丈の人生を生きた方への、彼女が引退を決めた直後に東京でのある晩に沢木さんが行ったインタビュー。直後ではなく、40年近いのちに発刊された事に対し、様々な憶測が飛び交っているようですが、、そんなことなど吹き飛ばすくらいに、心にくる本でした、、。


読み終わった後、ある言葉が浮かぶ、、。
「人と人が出会い、心を開き、恋に落ちる様を“奇跡”と呼ぶ」

出会い、心を開き、恋に落ちるのは、何も男女だけではないと思うけれど、、
でも彼は、本当に”人”を描くのが上手いな、、と、またもや大ファンに、、。

彼の一番有名な作品は、「深夜特急」で、私もあの本を読んで、香港やマカオ、
砂漠地帯をひとり旅したいな、と思った一人です、、。
でもそれはやはり女性!という点からなんとなく尻込みしてしまい、一人旅は叶わなかったけれど、でも香港に行った時は、もちろん重慶マンションに立ち寄ったり、マカオでは、ダイスを回しながら、ついその気になったりしたものでした、、笑。

、、と脱線しましたが、それ以来、彼の大ファンとなった私、全ての本を読み漁りました。そして出会った中でも好きなのが、「人の砂漠」「彼らの流儀」。どちらも有名というよりは、無名な人たちをテーマにしたものですが、フィクションなのか、ノンフィクションなのか、なんともいえないジャンルの作品。


「人の砂漠」では、テレビや新聞から、孤独死した老女、元売春婦、辺境の孤島に住む人々、鉄くずの仕切り屋、革命家、詐欺師など陽の当たらない場所で人知れず生きる人々物語を、その背景を想像し、肉付けし、シャープで、簡明で、けれど抑制を効かせ、でもユーモアをも忘れない作風で、単に我々が読み飛ばしてしまうであろう人から、”人間”の生き方を描いている。

「彼らの流儀」では、有名無名問わず、登場人物それぞれの一瞬に彼らの生きる「流儀」が〜
決して大きな事件が起きたり、何かを乗り越えた!後の説教くさい感じではないけれど〜散りばめられ、自分の大切にしたいものについて考えさせられる作品。


彼の作品は、いつもジャンル分けが難しい感じの文体で、感情のうねり!という雰囲気はない。しかし奥深いところで、”人”を温かくしっかりと受け止めている心意気が感じられ、”人”が生きる意味に真摯に向き合う姿が感じとれる(ちょっと生意気ですが、、笑)。


、、と長々と書きましたが、20代初めのころに彼に会ったことがある、、。
正しくは、見かけた〜ことがある。当時、米国に行くか、日本にいるか迷っていた私は、人の勧めでなんとなく受けた会社に入ることが決まり、深く考えもせずにそのまま入ってしまったわけだけれど、やはり自分が目指す方向とは違っていて(失礼、でも当時の上司と出会えたことは宝物です!笑)、入って早々に行きたい部署のトップに電話でアポをとり、会いに行くという社内営業というものをやっていた。。

今、考えると、そうとう空気を読まない、ガッツがある私でした、、笑。
そして目にとまった、書籍と雑誌を扱う部署にアポを取ったとき、私があまりに小説をかける人間になりたい、などというもので(無謀!!笑)、銀座のバーに連れていってもらったのだが、そこはいわゆる文壇バーで、
そこで女性の作家さんやら数名をお見かけしたのだが、なんと、大好きな沢木耕太郎さんをも見かけたのだ!!!  もちろん緊張して、何も話しかけられなかったけれど、やはり本の背表紙にあるように、寡黙そうだけど、オーラが半端なく、なんともいえない色気を持ち合わせていた、、、。そしてそれ以来、私は本だけでなく、ご本人の大ファンにも!!


それから長年経て、去年7月まである父のような存在のジャーナリストさん(この方も私に人生の哲学をたくさん教えてくれた、あまりにも素敵な大先輩です。)らとともに銀座に文壇サロンを開いていた、、のだが、そこはなんとあの日、沢木さんをお見かけしたバーのすぐ近くでした。。。。そして当時のことを思い出し、、あ〜、時計が戻せるならば、ぜひ話しかけたかったな、、とちょっぴり後悔している、、笑。


、、とまた色々と脱線したけれど、私も私なりの流儀を持って、
そして、”人”を描ける人間になっていきたいな、、と妄想した、旅先移動中に徒然に書いた夜、、。
# by hjihae | 2016-10-11 03:22 |